気まぐれ更新・心に残る言葉
 伝えもしないで分かって貰おうなんて無茶な話です。
 ハッキリした思いがあるのに、先延ばしにする必要が何処に?
 変わろうと思ったときから、人は変われるんだと思います。
 (―藤岡ハルヒ/桜蘭高校ホスト部)


 すごいなすごいなー熱いな。と思ってもっともっと聴きたかったんですが他に用があったのでちょこちょこっと聴いて立ち去りました。でも凄かった。金曜夜立川での路上ライブ。久しぶりにいい路上だなーと思いましたね。

 CDで上がってくるものとは違うし、箱ライブなんかとも違う。仕事に疲れた人や遊び疲れた人がふと立ち止まる。歓声を上げ、拍手する。すれ違うだけで、下手したら疎ましく思い合うだけかもしれなかった人たちが、隣あって何かを感じるなんて他の何かじゃなかなかできないことですよ。

 路上って歌詞はなかなか聴き取れないことが多いように感じるんですが、それでも盛り上がるってことは大事なのは音なんだろうと思います。"音を楽しむ"んだから当たり前かもしれませんけど。なんていうか音楽っていうのは即効性に長け過ぎてると思うんですよ。異常ですほんと。そんな異常なものなんだから、エロゲにおけるBGMも大事ですよね。(強引な話題転換)

 絶妙なタイミングで流れ出すBGMとかが一つの世界を創り上げる。画があり、シナリオがあり、それで出来上がっているかのような錯覚を起こしてしまうんですが、それを支えてるのってきっと音楽なんですよね。多分、多少のミスというかズレというか違和感なんかは好い音楽さえあればサラッと流せてしまうと思います。

 名作と呼ばれるものには好い音楽が付き物だと思うのは気のせいでしょうか。個人的には安瀬聖氏や樋口氏&BURTON氏コンビなんかが好きです。『さくらむすび』のBGMの好さは異常。

 OPの選曲も大事ですよね。OP曲が一人歩きしてるゲームなんかもあるくらいですから。そこからゲームに入ってもらえたりもしますしね。そういう意味では『キラ☆キラ』の音楽は自由奔放に広まって、そこから色んな人に楽しんで貰えたりしたんじゃないかなと。社長がバンドマンってのは強いよなぁ。カーテンコールのOPとか出来たら釣られちゃうんだろうなぁ。ほんと音楽の引き込むパワーって異常だと思う。
 私は今でこそ考察などのblogをやっておりますが、それまではどちらかといえば創る側の人間でした。売れてたとか人気が有ったと言うことではなく、自己満足の範囲ですが創作が楽しかったし、ずっと続けていくものだと思っていた。

 けど、それは突然終わってしまった。そこまでは当然のように延びていた線路が突然切れて先がなくなってしまったような感じで。陸は続いてる、崖ではない。でも確かなどこかを目指していた線路が突然途切れてしまって戸惑った、戸惑っている。

 原因の一つは自分の身の周りへの関心が薄れたたことだろうと思います。恋愛にも、友情にも。そこへの想いを、ひたすら創作にぶつけていた自分が居たんだと初めて気付きました。でも、気付いたからといって想いが蘇る訳じゃない。そんなに簡単なことじゃない。

 創作は好きだった。時間を忘れて夢中になった。泣くような辛さも笑い足りない楽しさも、心に残せたのは創作があったから。逆に考えれば今の自分には心に残したいだけの何かが無いとも言える。それはあんまりにも寂しいよ、寂しすぎる。だから、取り戻したいなと思う。だから、エロゲをやっているのかも。

 音楽映画小説漫画ライトノベルにゲームetc、どれもが素晴らしい創作だ。けれど、エロゲほど長い時間を共に過ごせる創作はそうない。ADVという形式の最大の武器は、その分量。プレイ時間。長いものであれば50時間、60時間。それだけの時間、世界に浸っていれば同じ言葉でも重みが違ってくる。生きてきた分だけ重くなるものが有るように、作品を読む上でもそれは恐らく同じなのだ。そうして読み進めるクライマックスは、どの創作よりも胸に沁みるんじゃないだろうか。深く、心に突き刺さったなら、自分が諦めてかけている何かが再び燃え上がるんじゃないだろうか。

 そんな風に思うから、私はエロゲを選び、続けるのかもしれない。ですが、実際にプレイに移るにはプレイを持続できるだけの集中力と継続する為の連続した時間が必要です。そうなるとなかなかベストな状態って無い訳ですよ。ということで続きの話をその内書こうと思います。お題は「アニメが原作を超えるとき」です。どうぞご贔屓に〜。
記憶とは

色褪せるもの

忘れるもの

失くしたくないもの



blogとは

綻びを繋ぐもの

想いを留まらせるもの
 と、ふと思いました。僕は割と「恋愛は暫くいいや、懲り懲り」って感じなんですが(えらい痛い目にあったので)、それでも胸が締め付けられてどうしようもなかったゲームが『もしも明日が晴れならば』です。ひたすら胸が苦しいゲームという感じで、この時ばかりはかなり人肌が恋しかった気がします。

掃いて捨てるほど愛の歌はある
(―楽園/THE YELLOW MONKEY)


 愛を語った創作は世界に溢れれるほどある。けれど僕らは次から次へとそれを求める。恋愛がしたいから?若しくは自ら恋愛に臨んでも満たし切れない何かを求めるから?どうなんでしょうね。タイトルには「エロゲをやって恋愛をしたくなるものかな?」と書きましたが「恋愛をしたいからエロゲをする」ということもあるかな。

 前回のエントリーから似たようなところをぐるぐる廻っているような気がしています。確かに好い創作は自分を満たすだろう。でも何故エロゲなんだ?アニメなんだ?オタ向け創作なんだ?と問い掛けた時に明確な答えが出ません。「好きだから」それは確かに理由となりえます。しかし「では何故好きなのか」に対する答えは自分の中に無いようなんです。いや、あるんでしょうけど自分で自分の意思をハッキリと見つけられていないんです。これは些かショックなことですね……。

 ですが、一方では「好きに理由は要らない」という自分もいます。それがベストだと思う自分もいます。そんな思考をぐるぐる。懲り懲りと言いつつ恋愛がしたい?だからエロゲを?エロゲやって恋愛したくなる?最早どこから出発してゴールがどこなのか分かりません。

 ただ思うことがあるとすれば……。恋愛がしたいと思わせられるような土壌にエロゲ業界は建っていると思います。だから、その土壌を活かして欲しい。ただエロぃだけのゲームだけじゃなく、やはり心震わせるような作品も作り続けて欲しい。そう思うことは確かです。

夕日の照り返しを受けた海は とてもまぶしくて
少し冷たい風が心を切なくした
(―セイリング/WHITE-LIPS)


 海を見る度切ない気持ちになる。そんなのってマイノリティなんでしょうかね?私は幼少の頃から身近に海ってのがなくて、更には海へ行く機会も少なくて、だからなのか羨望に近い眼差しで見てしまったりするんですよね。羨望ってのは海で楽しそうに笑っている人に対して、か。自分にとって海という場所は得られなかった何かを探す場所なんですよね。

 
 靴を脱いで波打ち際へ。「つめてー!」なんて言ってはしゃぐ。そんな当たり前とも言える光景が私には眩しい。

 よく考えれば映画やドラマ、小説に漫画、勿論エロゲだって得られなかった何かを探そうとしたり思い出を追いかけるために視聴するんだよな、と。当たり前のことかもしれませんが思いました。現実にはありえない世界観でも、その中にいる人間はそんなに変わらなかったりして、だからこそ共感して思い出すことがあったり、発見があったり。

 エロゲーは低くみられることが多いですけど、私は泣くことだってありますし、笑うことだってあります。それは自分のどこかを豊かにしているんだろうと思いますし、これかれもそうであって欲しいなぁ。

 なんてことを考えた一日でした。



 追伸:
 最近写真を撮る機会が減り続ける一方で、どんどん写真を撮るのが下手になっていってるように感じます。何事も反復!ですねぇ。blogもきっと同じことが言えるんでしょう。一つずつ確かに、満足できるように生きておきたいものです。(なんか今日の記事重いような……)